おふでさき号外

このようの火と水とは一の神  風より外に神はないぞや

 

高井家資料 六頁 文書類〕より 

 

『火は火や、水は水や。何でもないと思うていては違う。火と水とは一の神。無くてはならんものの一つ。間違うたら、どうにもこうにも人間の力で防げん。ここをよう思案せよ。

    さあ、そうなってきたら、いかな強欲でも悪気者でも、そんな事どころではない。何もかも忘れて、まず第一に手を合わすやろ。さあ手を合わしたら何と言う。ナムという言葉が先へ出るやろがな。ナムは親々(くにとこたちのみこと・をもたりのみこと)やで。

    いかな大水も、大火事も、大風も、皆これ親の意見やから、知らず知らず親を呼び出して頼むというは、仏法というものを、人間の心やわらげるために教えておいたのやで』と仰いました。


しんじつのいとをしとをてくるものは すえではかみがまちうけている  17号 最終歌




梶本惣次郎氏が教祖より戴いたおふでさき

松次郎なら参りと言ふてきた 神がさいはい行けと言ふたで

 

梶本惣次郎氏は、温厚な方であった。近隣からは仏の惣次郎といわれる程であった。教祖は実の子春子さんとの縁談を持ちかけられた時、見合いもなしにその場ですぐに「惣次郎さんの心を見込んでやろう」と仰せになった。
 教祖は惣次郎さんに家族共々おやしきに入り込むことを促さしていたが、惣次郎さんは当時の中山家の家計の苦しかった様子を見られ、人間心から二の足を踏んでおられた。


参ろふと思ふて来るのもはかり事 神のおもわくある故の事


日/\に神の心うけとりて すへではめづらし助けするなり


此助けいつ頃と言ふならば 小人せへじん次第なるぞや


此の小人十三才になりたなら 親子諸共引き寄せるなり

 

又、多面惣次郎さんは当時鍛冶職を営んでおられたが、おじばに御用のあるときは、自身を始め、その子供衆にしても常におやしきにかかさず御用を勤められた。このおふでさきはその子宗太郎が十三歳になるの仕切っておじばに伏せこむことを教祖が切望していたのである。


引き寄せてそのさきなるはだん/\と いつもよふきでゆさん遊びを


かないぢういんねんつけてあるけれど なにもゆわねば知らん事なり


いんねんをつけたといふてあんじなよ 今から来いといふでないぞや


日/\に家業に心つくするは これが第一神ののぞみや

 

惣次郎氏は鍛冶屋をしながら、お屋敷の御用にも昼夜をおしまず、励まれていた。

その中から、この言葉をいただかれたのだ。

 

家業、これこそが人生の基本であり、生活の糧であり、そして人生の大学ともいえる学びの道場でもある。